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5月27日は百人一首の日
2024.05.23
カテゴリー:歴史

百人一首は飛鳥時代から鎌倉時代にかけての100人の和歌が1首ずつ選ばれ完成された。撰者は藤原定家とされている。

 

 

鎌倉時代の歌人 藤原定家の日記『明月記(めいげつき)』に、1235年(文暦 ぶんりゃく2年) 5月27日に和歌百首を障子に貼り付けたという記述があり、この日を「小倉百人一首の日とされた。「小倉」とは京都の小倉山に由来し小倉あんの小倉と同じ。

 

 

当時は小倉山の近辺で大納言小豆が多く収穫され、この品種は、大粒なだけではなく、煮たときに皮が破れにくい特徴を持ち「腹切れ」が生じにくいことから、切腹の習慣のない公卿の官位である「大納言」と名付けられたと言われているが、俵のような豆の形が大納言が被った烏帽子(えぼし)に似ているためという説もある。ちなみに江戸時代は「中納言」「少納言」と名付けられた品種もあったらしい。

 

 

ところでNHK大河ドラマ「光る君へ」で紫式部と清少納言が登場するが、百人一首に選ばれた両者の歌を見てみた。

 

 

紫式部(小説家)

めぐり逢いて 見しやそれとも わかぬまに

雲がくれにし 夜半の月かな 

 

 

『久しぶりに会って、昔の友だちかどうかわからないうちに、雲に隠れる夜更けの月のようにあわただしく帰ってしまいましたね』という意味。 幼なじみとのつかの間の再会を、月になぞらえて詠んだ歌。

 

 

 

清少納言 (コラムニスト)

夜をこめて 鶏の空音は はかるとも

よに 逢坂の関は ゆるさじ

 

 

『まだ夜明けまでに時間があるというのに、ニワトリの鳴きまねをしてだまして通ろうとしても、あなたは私に会うことはできませんよ』「逢坂の関」とは、男女が結ばれるところ、という意味を持っている。ニワトリの鳴きまねの部分は中国の故事を取り入れていて「私の中の恋の関所の番人は、決してだまされませんよ」ということを言いたかった、ウイットに富んだ歌。

 

 

 

お二方の歌を鑑賞するとそれぞれの性格が滲み出ているようで微笑ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何年か前に京都に行った折(撮影場所は忘却)撮影した紫式部。薄紫の花菖蒲が清少納言と名付けられているらしいが、手元にはその画像はなく昔撮影した紫式部をアップ。優雅で美しい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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